クリスマス・イブ
「もう、会うこともないかな」
それが、あいつの最後の言葉になるとは、
僕はそのときまったく思いもよらなかった。
僕はその言葉に笑って手をたたいて、得意気
に「さあね。そいつは神のみぞ知るってやつ
だろう?」とあいつのいつもの口調を真似て
答えたのだった。あいつはフンと鼻で笑って
(これがあいつの最もよくやるクセだった)
さめかかったコーヒーを一気に飲み干した。
僕は「じゃ、な」といって席を立ち、既に二
十分程遅れてしまった三限に出るために、
実験棟と図書館の間のメインストリートを足
早に歩いた。街はクリスマスを間近にひかえ
てにぎわっていたが、おかたい理系の大学に
はそんなことは何の関係もないかのようだっ
た。三限は初老と呼ぶには少しばかり年をと
りすぎた教授のとんでもなく冗長な語り口が
なぜかしら快よい授業で、これが終われば、
正月明けまで束の間の休みに入るのであった。
僕は二階にある教室のメインストリートに面
した窓際の席について、ボンヤリとまばらに
人が往来している様子をながめていた。しば
らくそうしているとあいつが何か生協の包み
をかかえて歩いてくるのが見えた。そのグレ
ーのコートがまばらな人を避けて歩き去るの
を見送ってすぐに、僕は快よい眠りにおちた
のだった。
あいつの妹から僕の所に電話があったのは
それから三日後の、大学も冬休みに入った、
クリスマス・イブの夕方だった。彼女は、消
えてしまいそうな声であいつの事故のようす
とその後の死を告げるとあとはただおしひそ
めた声でいつまでも泣き続けていた。あいつ
はその日、彼女(あいつには身寄りが彼女し
かいなかった)へのクリスマスプレゼントを
買いにバイクで出かけたらしかった。そして
プレゼントを買ったその帰り、道端から飛び
出した犬(だか猫)をよけようとして、右側
から出てきたタクシーに突っ込んだらしかっ
た。その場所に残されたプレゼントの包みの
中身は、以前からあいつの妹が欲しがってい
た赤い毛糸の手袋だった。クリスマスカード
には「これで手をあったかくして、うまい料
理をいつも食わせてくれよ」と書いてあった
らしい。
いつか、話の中で「死ぬのがこわくはない
のか?」と僕がたずねたとき、どこか遠くを
見つめて「俺の命の重さなんて、野良猫とど
んな違いだってありはしないからな。いつ死
んでもちっとも不思議はないさ」と答えたあ
いつの、それは、あまりにもあっけない死だ
った。
そして、それから四年経った今、僕はあい
つの妹、今は僕の妻となったあいつの妹と、
十二月二十三日をクリスマス・イブと呼ぶよ
うになっている。