笑 顔
俺は灰皿の上で吸いかけのマイルドセブンをもみ消し、カップに半分くらい残っていたアッ
プルティーをのどに流し込むと、その店をあとにして、だいぶ春めいてきた陽気と連休のせい
でやけに人通りの多い昼下がりの街へ歩き出した。あちこちの店から流れ出してくる流行りの
歌とパステルカラーを引きずった笑顔たちの中をなるべく足早に歩いた。その笑顔たちはどこ
までいっても俺の視界を埋めつくし、俺をあざ笑うかのようだった。俺はついに耐えきれなく
なり、クレープ屋とブティックの間の細い路地を抜けて、あまり大きくない公園に出た。
そこには、若い母親たちが何人かと、彼女たちの子だろうか、数人の子供たちが真ん中の砂
場で服にいっぱい砂粒をくっつけて楽しげに遊んでいた。俺は、日かげになっているベンチに
座り、最後のタバコをくわえると、空になった箱をくずかごに投げ入れた。それからマッチを
さがしたが、さっきの店に置き忘れたのか、結局みつからず、舌打ちをして、マイルドセブン
に空箱のあとを追わせて、ぼんやりと遊んでいる子供達に目を移した。
考えるべきことなど一つもありはしなかった。美貴のいった言葉は極めて単純だったのだし
その言葉を美貴がいわなければならなかった理由など、実際俺にとってどうでもいいことだっ
たのだから−−
俺が待ち合わせの場所−−さっきまでいた店−−に少し遅れて行くと、美貴は窓の外を眺め
ていた。俺が謝ると微笑して首を横に振り、また窓の外に視線を戻した。
「話って?」
促すと、美貴はハンドバックを細くあけて何か取り出し、コトリとテーブルの上に置いた−
−それは、一昨年のクリスマスに俺がプレゼントした銀のブレスレットだった。
「さようなら。」
静かな声で美貴はそう言うと、上着をもってそのまま店を出ていった。
−−たった二時間ぐらい前のことだった。
俺はジャケットのポケットからそのブレスレットを取り出し、見つめた。なんの感情も俺の
心に浮かびはしなかった。しばらくそうして見つめつづけた後、俺はそれをタバコと同じくず
かごに捨てた。顔をあげると、さっきの子供達も、その母親たちもすでにいなくなっていて、
空はくもりはじめていた。
俺は再び街へ出た。そこには、相かわらず、何の役にも立たない笑顔だけが、うんざりする
ほどあるのだった。